雑談記自殺。
雑談記
本当はシナリオについて書く所だったのですが……べ、別に変態さんじゃないんだからね!
形は違えど。
 ファブリーズが切れたので詰め替えを買いにドラッグストアに行ってきたのですが、
新型になっているようで同じものがなく、
やむなく新しい物を買ってきました。

 新しい物と古い物を混ぜると色々な意味で危険そうなので避けましたが、
これは本当に大丈夫なのでしょうか?

 昼食をコメダの近くにある蕎麦屋で取ってきたのですが、
どうにも親子丼が余り美味くなかった気がしました。

 立ち食い系の蕎麦屋は味が若干濃いめの物が好きなので、
相性と言う物もありますが。

 尊厳死を宣言した女性が薬を飲んで亡くなったそうです。

 尊厳死と自殺と安楽死は関連する事項がある物の、
若干異なると言うのは自分でも分かっています。

 死と言うのは100%主観ではなく客観でしかなく、
また哲学と宗教位でしか論じる事が出来ないのが難しい所です。
(誰もが経験するはずですが、経験した人間から体験談が聞けない為分からないのです)

 死生観というのは一昔前の村社会的な感覚であれば、
「うちがそうなんだからそれでいい」で済むのですが、
近年の複合化されたモザイクな世界で最適解が得られるのか?と言うと多分無理かと思います。

 どちらにせよこのような類は扱い所が難しく、
権利を使って当人が解決しても、
その所以がなかなか分かりにくいと言うのが厄介な所です。
(自殺した人間の理由を調べると言うのは、大変な労力を必要とします)

 死ぬ気でやれば云々とは良く言いますが、
そういうことを言うのは自殺願望が出た事がない人か、
何もしないで挫折なしに成功した人だけですからね。

 何にせよ、
悔いがないように生き、
悔いがないようにし寝ればそれに越した事はないですね。

 どこかの小説で、
「死にたくない」と言う感情は「自分がやり残したことがある」から出る物と書いてありました。

 自分は何をやり残しているのかさっぱりですが、
作業を続ける事が生きる事に繋がっているのかな?と思っています。
本を注文。
 以前から探している本を探したのですがやはり見つからず、
やむなくe-honで本を注文しました。

 岩波新書だったのですが、
殆どの本屋で棚がラノベで埋まっていまして、
悲しい事に見つかりませんでした。

 ラノベの表紙を見ていると、
どうもエロゲの箱絵を見ている感じがしていい気がしないんですけど……
歳なのでしょうね。

 ラノベを読みたくないかと言うと、
そういう訳ではなく、
以前はかなり集めていたのですが大掃除で廃棄処分しまして、
以後「内容が薄い」本は巻数でかさばってしまう傾向から、
簡単に買えないという事情があります。

 本棚が置けないのでその手の本と相性が悪いのです。

 よって、
漫画本は殆どありません。
(数えたら咎狗8巻+アイマス3巻+乙嫁3巻+アップルシード3巻しかないです)

 あると言えば辞書と哲学書と雑誌のバックナンバーです。

 雑誌と言いましても、
処分するまで溜まっていた雑誌が「日経サイエンス」だった時点でもう……

 これを書くと意外にビビられますが、
実はドラゴンボールを「1度も」読んだ事がない人間です。

 本題へ。

 自殺という事ですが、
政府が行う自殺対策のキャッチフレーズが「GKB47」だそうです。

 はた目から見ればゴキブリにしか見えないのですが、
どうなのでしょうか?

 間違ってもあずにゃんなんて言うな、
絶対だぞ!

 政府の自殺対策は票にならないという理由から最後尾扱いになっている物なのですが、
それにしても酷い気がします。

 女性に向かって「君はAKBの40番台後半くらいにいそうな人だね」と言うのとどっちが酷いのかな……
なんて思ってもいます。

 こういう物は地道に活動する物なのですが、
思い出したように「対策していますので事業仕訳で予算削らないでください」って言っているようで、
何か陰謀じみた物がよぎる気がするのは……気のせいですよね。
現実の死と仮想の死。
 朝早く出かけようかと思ったのですが、
朝起きたのが10時くらいだったため、
殆ど近場で間に合わせざるを得ませんでした。

 最近、無計画が多くて情けないです。

 今回は比較的アレな話でもしようと思います。

 ツイッターを止めたのは以前書いたとおりですが、
その後、関連アプリにログが残ってしまい少し困っています。

 ネット上ですと、
ログが残ってしまうのは仕方ないですし、
これを完全に除去するのは不可能に近いので、
もう放置するしかなさそうです。

 厄介なのは放置し、数年立っても劣化せずにそのまま残ると言う事で、
(スピルバーグ監督の言葉を借りるなら)デジタルは基本的に劣化しない為、
その人がいつ発言したものか、書き込んだものか分からない状態になります。
(発言の日付が残ると言う人がいますが、日付自体が正確とは限りません。)

 つまり、その人が仮に現実で死んだとしても、
ログ自体が消えず、更に日付も確証出来ないのですから、
そこに留まり続ける事になります。

 つまり、ネット上でさまようゾンビになる訳です。

 例えば、
当人が亡くなっているにもかかわらず、
存在しているブログに延々と書き込む等……

 特にツイッターでBot(自動的に書き込みをするシステム)と化していると、
尚の事、その人が生存しているのか分からなくなりますし。
(実際には書き込み元で判明しますが、
アプリによっては分からない事もあります。)

 なんだか不思議な話です。

 何故自殺?と言う人がいますが、
これは、

 例え自殺しても、そのシステムが生きている限り、
その人間が生きた痕跡が延々と残ってしまい、
死んだと言う認識が伝わらない、
死んだのかすら分からないまま、
葬りさられてしまう訳です。

 まして、自殺で生きた証を消そうとも、
消えずにくっきり残り続ける生の証……

 ネットで新しい都市伝説でも作れそうです。

 以上、取りまとめのない話で申し訳ありませんでした。
偽物の光。
 本日最後の項目です。

 と言いましても、Twitterで書いた事の纏めです。
 久しぶりにこのカテゴリで書きますね。
 該当するテーマがなかったので、ここで。

 取り留めのない文章ですので、ご容赦を。


 絶望に立たされた人間は、まず死にません。
 これはボクが良く言っているのですが、
人はまず一人で死なないという考えと良く似ています。

 人は環境を含めた、他人との軋轢
(周りが幸せそうだったり、出世していたり等……)
で自殺するのだと言う事です。

 それは絶望ではありません。
 失望と言います。
 光があっても届かない。
 その失望にさいなまれていくのです。

 しかし、絶望にはそんな物はありません。
 何故なら「望みがないから」です。
 それは「死ぬ」望みもありません。
 本当に何もないのです。

 只妄想に囚われた世界を、
黙って、感情もなく歩くしかありません。

 しかし、そこで光を見つけたとき、
人は圧倒的な渇望を持ってそこに進みます。

 それは、砂漠の中でオアシスを見つけた様に。

 人はそれを「悟り」といい、
光が「希望」であるならば、
「絶望」の苦しみを知りながらも、
希望に向かって進み続ける、強い人間になるでしょう。

 しかし、それが偽物の光だったら……
死を照らす光だとしたら、間違いなくその人間は「死」へ向かいます。

 自殺志願とは、
この死の光に見出されてしまっている状態なのです。

 では止める為にはどうするのか?
 答えは簡単です。

 偽物の光を塞ぎ、
希望と言う光へ導いてやればいいのです。

 しかし、それは余りにも難しく、
そして、他人関心のない今の状況では、
尚の事でしょう。

 絶望から希望を教えるのは大変ですし、
人によって、何が希望なのか分かりません。

 しかし、それで救えるのであれば、
それに越した事はありません。

 自殺を止めて、
志願者を救いたいのであれば、
絶望の砂漠で、
死が照らす偽物の光を塞いであげてください。
 そして、本当の光を教えてあげてください。

 ボクも、絶望の淵をさ迷っています。
 だから、ボクの心にもある、
死が照らす光を……誰か塞いで下さい。

 本当の希望を、光をボクや多くの人々に……
硫化水素。
 硫化水素による自殺が報道されております。
 こういう手段はいけないだのなんだのと報道は必死になっておりますが、
ボク自身は単純に不明だった自殺手段が表になったとしか思えません。

 自殺サイトもそうでしたが、
結局、自殺者を水際で食い止めるには
その要因を突き詰めて取り除かなければいけません。
 例え、自殺サイトを閉鎖して
自殺の道具を全部取り除いても
自殺者の自殺願望が消えない限り、どんな手段を持ってしても自殺します。

 およそ3万人もの自殺者を出していると言う事は、
それだけ国民の数を不用意に失っているのと同じです。

 自殺者を食い止める為の法律が可決されたのに、
命の電話は人員不足。
 その上一部の閉鎖。
 これでは何の為に法律を作ったのかわかりません。

 自殺は社会の病です。
 その病を取り除く為に何もせず、
自分達の周りばかり体よくする。

 何かこう、必要な所で金を使わず、
あまっている所で金を使う。

 何かがねじれている。
 そんな感じがします。