今日は天気予報の気温が体温ではないかと疑う位に暑く、
引きこもりたかったのですが仕事と殺伐としすぎている拠点の部屋を何とかしようと奔走しました。
明日は明日で奔走ですが。
仕事を辞めて、
転々と仕事をした経験上色々と碌な目に合っていないので、
結構慎重に探しています。
その中で大抵言われるのが「お前は使えない人間」と言う物です。
ボクは何処に行っても「使えない人間」と言われるので間違いなく使えない人間で評価は確定ですが、
この定義から考えてみる事にしました。
前のコミュニケーションの所でも書きましたが、
とりあえず「上の言う事を聞けて100%その通りに出来る人」が使える人間で、
それが出来ない人間が「使えない人間」となります。
ならば使えるようになるまで教えろと言う考えがありまして、
現に高度成長期前はその通りでした。
金の卵ともてはやされて上京した人間が使える人間だったかと言うと、
それは疑問に残ります。
総じて平均の学歴も高くなかったのですがら1から教えていたはずです。
でも最近は「使えない人間」は「使えない=企業に価値はないどころか害をなす存在」としてガシガシ切り捨てます。
理由の一つとして個人情報の問題(こいつに個人情報は任せられないと言った点)や、
作業が高度化して複雑になっているので1から教えると膨大な時間を食うと言うのもあります。
でも最大の要因としては、
やっぱり「即戦力が欲しい」と「一律のパラメータの評価」が原因になるのではないかと思います。
今は新卒に「出来て当然」のスペックを高い所で求めますし講習もしません。
(昔ならお茶汲みレベルのマナーまで会社が教えていましたが今はそんな所から教える企業は何処もありません)
よく「企業は学校ではない」と言いますが、
「企業」は「儲けを出す組織」だけではなく「社会をよりよくするために貢献する組織」ですので、
「人を育てて社会の質を上げていく」役割も持っています。
学校に限らず、
人は色々な所で学び成長して質を良くしていこうと貢献するものです。
育成を放棄した時点で人の成長を捨てたも同然ですから、
そんな会社はどうかと思います。
(自分で勉強しろと言いますが、
それは「甘えるな」や「自己責任」と言う言葉と同じく都合のいい責任放棄にしか聞こえません)
それと一律の評価と言うのは例えると、
営業成績が良い人で例えられます。
数値上営業成績が良い人は評価されやすいですが、
そのうちの数値化されていない部分=押し売りとか賄賂とか枕とかは一切考慮されません。
その為、
何をしても営業成績が上がればよいと言う結果になりまして、
結果として数値以外の部分は全く切り捨てられていくわけです。
たとえ1人しか営業が取れなくても、
その会社が大満足でずっとその会社と取引したいと言っても「たったの1件しか取れていない」で無視されますし、
逆にもうこの会社と取引したくないと取引先が全員言ったとしても、
数が取れれば勝ちです。
そういう盲点を考えないで数値万能説になってしまっている所も問題かな?と思っています。
そんな事を言っても自分の無能さは正当化できませんけれどね。
さて、
シナリオですが8KB位まで進めました。

勢いで書けばもう少し書けたはずですが、
それでいいかと言うと疑問には出てきます。
勢いで書くと全体が見えなくなりますから。
最近疲労がどっと来たのか言い回しが酷くなってきていまして、
不快になる部分が多くなるかと思います。
少し誰かと話して落ち着きたい所ですが、
その相手がいないので尚更悪化しています。
愚痴を吐くにしても不特定多数の人が見ているここで書くべきではないですからね、
ぐっとこらえて圧縮してゴミの日に捨てるのが妥当です。