孤独と死。
孤独。
と言う言葉は不思議な言葉で、
ネガティブな意味合いもあればポジティブな意味合いもあります。
しかしながら日本では孤独と言うと悪な感じがしまして、
どうにもな感じがします。
自立しろだのなんだのと言っておきながら、
孤独になって死ぬと嫌がられると言うのはどうかと思います。
一生孤独なボクから言わせてもらえば、
別段どうでもいい話ですが、
ねちねちと愚痴らず、
孤独という物を受け入れるにはどうすればいいのか?
とキングハナアルキさん風に考えてみました。
音楽聞いて慰めろとか、
本を読めとか、
ナンパして彼女作れとか、
そういう逃避ではなく純粋に孤独を受け入れるにはどうしたらいいのか?
そもそも孤独と言うのは、
自ら望んで孤独になると言うのは現代社会では余りないです。
と言うか皆無でしょう。
携帯電話をはじめ、
様々な物で繋がっていますから。
その気になればだれかと繋がる事は容易です。
twitterに登録するだけですぐにでも。
となれば、
孤独と言うのは「あえてそういう状態になっている」という事になります。
しかし、
何故「孤独である」と言うのか?
それはは他人と比較してしまうから辛いのです。
例えばリア充を観たり、
楽しそうにしている人を見たり、
そういう人を見ると辛くなって孤独を感じるのです。
ある意味では「嫉妬」の逆です。
嫉妬は「自分がそうなれる可能性がある」からする物であり、
孤独は逆に「自分ではもう無理だ」と言う諦めから出る感情です。
人が自分以外にいなければ単に一人なだけなので孤独にはなりません。
諦め。
それは全てを捨てるという事で、
丁度ある概念と似ています。
それは「死」です。
それで思い出したのが、
「死ぬ瞬間」です。
これは否認→怒り→憂鬱→取引→受容の淳で死を受け入れると言うもので、
孤独もまた、
同じ流れを経由する事で受け入れるのではと感じています。
という事は……やっぱり孤独は死で、
孤独に向かうのは自殺と同じなのでしょう……ってあれ?
更に言えば、
皆殺しにしてボク一人になれば孤独にならないじゃないですか。
おお、
じゃあ早速包丁を買ってきて電車に乗り込んでですね……
っと、
金ダライが降ってくるぞ!気を付けろ!
でも孤独=ネガティブなものの脱出なのは確かなようで、
皆が皆孤独から避けようともがいているのが、
ネットの相談サイトなどからもちらほら見受けられます。
確かに孤独になると、
もう抜けられなくなりますからね。
孤独=死と言う概念。
ここに孤独という物に向き合うヒントがあるようです。
どうせ友達も彼女も一生出来ませんので、
その分の思考時間はあります。
研究課題として、
今勉強している事がある程度済みましたら、
どうしたら孤独しかない人生を受け入れ、
孤独なままに生きるにはどうしたらいいのか?
これを深く掘り下げてみたいと思います。
カルネージハートですが、
前の考えでは一寸無理がある部分がある事が分かりました。
それは「向き」です。
アウェイ側を向いている場合と、
ホーム側を向いている場合、
右と左を向いている場合ではXとYの移動が全く異なってしまうと言うものです。
但し、
ここまで計算に入れるのもどうかと思いますけど。
でも気になりましたし、
知識は荷物になりませんので調べて見ました。
カウンタに向きを代入できるプログラムがありますので、
調べて見ますと以下の通りでした。

緑の丸が自機です。
これを角度が180になるよう旋回させ、
以前書いた判定で歩かせる事で、
ある程度共有させた敵機の位置に向かって歩けるのではないかと思っています。
旋回させるのが面倒ですが、
上下左右にいちいち対応させて歩かせるプログラムを書くと、
スパゲティ化する上に容量が大きくなってしまい、
負担が増えるので一番楽なプログラムで妥協する必要があるようです。
実は後数シーンで作成している流れ図が全て終わります。
明日は全力疾走で終わらせますので、
それが終わり次第小説の書き出しに入ります。
ものすごい忙しくなってきてしまっていますが、
それでも充実している証として受け入れます。
退屈よりかは遙かにマシですとも。
と言う言葉は不思議な言葉で、
ネガティブな意味合いもあればポジティブな意味合いもあります。
しかしながら日本では孤独と言うと悪な感じがしまして、
どうにもな感じがします。
自立しろだのなんだのと言っておきながら、
孤独になって死ぬと嫌がられると言うのはどうかと思います。
一生孤独なボクから言わせてもらえば、
別段どうでもいい話ですが、
ねちねちと愚痴らず、
孤独という物を受け入れるにはどうすればいいのか?
とキングハナアルキさん風に考えてみました。
音楽聞いて慰めろとか、
本を読めとか、
ナンパして彼女作れとか、
そういう逃避ではなく純粋に孤独を受け入れるにはどうしたらいいのか?
そもそも孤独と言うのは、
自ら望んで孤独になると言うのは現代社会では余りないです。
と言うか皆無でしょう。
携帯電話をはじめ、
様々な物で繋がっていますから。
その気になればだれかと繋がる事は容易です。
twitterに登録するだけですぐにでも。
となれば、
孤独と言うのは「あえてそういう状態になっている」という事になります。
しかし、
何故「孤独である」と言うのか?
それはは他人と比較してしまうから辛いのです。
例えばリア充を観たり、
楽しそうにしている人を見たり、
そういう人を見ると辛くなって孤独を感じるのです。
ある意味では「嫉妬」の逆です。
嫉妬は「自分がそうなれる可能性がある」からする物であり、
孤独は逆に「自分ではもう無理だ」と言う諦めから出る感情です。
人が自分以外にいなければ単に一人なだけなので孤独にはなりません。
諦め。
それは全てを捨てるという事で、
丁度ある概念と似ています。
それは「死」です。
それで思い出したのが、
「死ぬ瞬間」です。
これは否認→怒り→憂鬱→取引→受容の淳で死を受け入れると言うもので、
孤独もまた、
同じ流れを経由する事で受け入れるのではと感じています。
という事は……やっぱり孤独は死で、
孤独に向かうのは自殺と同じなのでしょう……ってあれ?
更に言えば、
皆殺しにしてボク一人になれば孤独にならないじゃないですか。
おお、
じゃあ早速包丁を買ってきて電車に乗り込んでですね……
っと、
金ダライが降ってくるぞ!気を付けろ!
でも孤独=ネガティブなものの脱出なのは確かなようで、
皆が皆孤独から避けようともがいているのが、
ネットの相談サイトなどからもちらほら見受けられます。
確かに孤独になると、
もう抜けられなくなりますからね。
孤独=死と言う概念。
ここに孤独という物に向き合うヒントがあるようです。
どうせ友達も彼女も一生出来ませんので、
その分の思考時間はあります。
研究課題として、
今勉強している事がある程度済みましたら、
どうしたら孤独しかない人生を受け入れ、
孤独なままに生きるにはどうしたらいいのか?
これを深く掘り下げてみたいと思います。
カルネージハートですが、
前の考えでは一寸無理がある部分がある事が分かりました。
それは「向き」です。
アウェイ側を向いている場合と、
ホーム側を向いている場合、
右と左を向いている場合ではXとYの移動が全く異なってしまうと言うものです。
但し、
ここまで計算に入れるのもどうかと思いますけど。
でも気になりましたし、
知識は荷物になりませんので調べて見ました。
カウンタに向きを代入できるプログラムがありますので、
調べて見ますと以下の通りでした。

緑の丸が自機です。
これを角度が180になるよう旋回させ、
以前書いた判定で歩かせる事で、
ある程度共有させた敵機の位置に向かって歩けるのではないかと思っています。
旋回させるのが面倒ですが、
上下左右にいちいち対応させて歩かせるプログラムを書くと、
スパゲティ化する上に容量が大きくなってしまい、
負担が増えるので一番楽なプログラムで妥協する必要があるようです。
実は後数シーンで作成している流れ図が全て終わります。
明日は全力疾走で終わらせますので、
それが終わり次第小説の書き出しに入ります。
ものすごい忙しくなってきてしまっていますが、
それでも充実している証として受け入れます。
退屈よりかは遙かにマシですとも。
テーマ : カルネージハートエクサ
ジャンル : ゲーム