主観。
wikipediaの削除が日本では特に多いという記事を、
今日の朝日新聞で見つけました。
別に日本人だけヘイトがすごいからとか、
変な項目だけ充実しているからと差別しているわけでもなんでもなく、
これは昔からある問題です。
要は日本人は客観的な文章が書けない、
と言う事です。
どういうことかといいますと、
例えば小学校では必ずと言っていいほど、
読書感想文を書かされます。
その時、
客観的な文体……こういう理由で話がつまらなくなるとか、
このページが抜けていてわからなくなっているなどと書くと必ずはじかれます。
一方で主観的な文体である、
「面白かったです」「よかったです」と書くのが定番になります。
作文の段階から主観的な文体、
かつ自分が考えている事を羅列して書くスタイルを基本として学ぶので客観性、
統一性を重視した文章を書きなれずに主観的、
かつ自己主張的に書くので後で削除を食らいまくるというのが自分の仮説です。
それ自体は悪いことではなく、
主観的な文章は読みやすく面白いのですが、
百科事典は小説ではないので、
「俺語り」をやってしまうのは駄目でしょう。
あくまで日本語版wikipediaの削除が多い理由の仮説ですから、
根拠はないですけど。
さて、
お絵描きですがマスの半分程度を塗りました。

傾向として輪郭が曖昧になっている点があります。
あまりぼかすのはやめようかな?
輪郭線と前に書いた下絵と合わせるとこうなります。

少しは良くなったかな?
今日の朝日新聞で見つけました。
別に日本人だけヘイトがすごいからとか、
変な項目だけ充実しているからと差別しているわけでもなんでもなく、
これは昔からある問題です。
要は日本人は客観的な文章が書けない、
と言う事です。
どういうことかといいますと、
例えば小学校では必ずと言っていいほど、
読書感想文を書かされます。
その時、
客観的な文体……こういう理由で話がつまらなくなるとか、
このページが抜けていてわからなくなっているなどと書くと必ずはじかれます。
一方で主観的な文体である、
「面白かったです」「よかったです」と書くのが定番になります。
作文の段階から主観的な文体、
かつ自分が考えている事を羅列して書くスタイルを基本として学ぶので客観性、
統一性を重視した文章を書きなれずに主観的、
かつ自己主張的に書くので後で削除を食らいまくるというのが自分の仮説です。
それ自体は悪いことではなく、
主観的な文章は読みやすく面白いのですが、
百科事典は小説ではないので、
「俺語り」をやってしまうのは駄目でしょう。
あくまで日本語版wikipediaの削除が多い理由の仮説ですから、
根拠はないですけど。
さて、
お絵描きですがマスの半分程度を塗りました。

傾向として輪郭が曖昧になっている点があります。
あまりぼかすのはやめようかな?
輪郭線と前に書いた下絵と合わせるとこうなります。

少しは良くなったかな?